202年1月号
「第10回:駱駝(らくだ)」
あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
年の始めの展覧会は『古伊万里いきもの図会(ずえ)展』(2026年1月8日(木)~3月22日(日))を開催いたします。江戸時代の伊万里焼にあらわされたいきものに注目し、様々な視点から各モチーフを紐解きます。
今回の学芸の小部屋では、次回展で取り上げるいきものの中から駱駝(ラクダ/以下カタカナ表記とする)を取り上げます。伊万里焼におけるラクダモチーフは幕末期に僅かにみられますが、その表現を紐解く鍵は時代背景にあります。
博物学の発展した幕末期には、珍しい異国の動物が多数舶来して話題を呼びました。ラクダも異国からもたらされた動物の一つです。特に文政4年(1821)7月、オランダ船が献上品として持参したアラビア産のヒトコブラクダの牝牡は空前のラクダブームを起こします。このヒトコブラクダたちは、来航後しばらく長崎・出島に置かれ、文政6年(1823)に民間に引き渡されて、九州、四国、大坂、京都、奈良、南紀、名古屋など各地で見世物とされ、話題を呼びました。異国文化への好奇心が高まる時代であったことに加え、享和3年(1803)にオランダ船を偽ったアメリカ船に舶載されていたフタコブラクダを、幕府が受け取り拒否したことが、ラクダに対する人々の期待をさらに膨らませていたのでしょう。ラクダの舶来を知らせる版画や、唐人風の香具師(やし)と共にあらわされた興行の引札(ひきふだ/チラシ)が多数摺られたほか、ラクダを題材とした文芸作品、俗謡、研究書なども多数作られました。
興行のなかでも文政7年(1824)の江戸・両国広小路の見世物は、高額な見物料にもかかわらず連日観客が殺到し、日延べを重ねて翌春まで続く人気ぶりだったと言います。また、文筆・画工に長けていた尾張藩士の高力猿猴庵が、文政9年(1826)の名古屋での興行を記した『絵本駱駝具誌』には、ラクダの人形や絵入り扇子などが挿絵付きで紹介されており、今でいうところの「ラクダグッズ」が多岐に渡って製作・販売されていた様子がうかがえます。市井の白熱ぶりに加え、興味関心の高さも感じられます。
なお、ラクダの他、ヒクイドリやゾウなど様々ないきものの興行が行われていましたが、こうしたいきものたちには、当日の演出に加えて、多種多様なご利益や俗説的な縁起付けが施されました。いきものそのものに対する関心に加えて、まさに「眼福」を思わせるような、良いものを目にしてあやかりたいという欲に訴求するような広告が打ち出されていました。例にもれず、ラクダも疱瘡麻疹除け、悪病除け、雷除けなど様々なご利益が付与されました。さらに、ラクダは「楽だ(らくだ)」に通じるほか、牝牡寄り添う姿から夫婦和合の象徴というイメージも付与されて、絵札などでも人気のモチーフとなりました。
前置きが長くなりましたが、こうした時代背景を踏まえつつ『古伊万里いきもの図会展』出展の「染付 麒麟文 鉢」(図1/右)の文様を見ていきましょう。見込に麒麟文、八区画に割した外側面には壽字に籠文、ラクダ文、オランダ人文を対称に配しています。なお、今展では出展いたしませんが、見込に上絵付けを伴うサイズ違いの類品も伝世しています。
ラクダとオランダ人というまさに異国を思わせる組み合わせに、瑞獣の代表格である麒麟と壽字という吉祥モチーフが加わって、全体的になんとなくめでたい雰囲気がうかがえます。しかし、今回注目したいのはラクダの吉祥性ではなく、ラクダのコブの表現です。
よく見ると、全体的なシルエットはヒトコブラクダですが、コブの数は曖昧な表現になっていることに気が付きます(図2)。その理由を求めるには、文様の参照元となったであろう「ラクダ図」について考える必要があります。
文政4年にヒトコブラクダが渡来するまで、日本におけるラクダのイメージはフタコブラクダが主流でした。中国をはじめとする東アジア圏に古くから馴染みのある種で、正倉院宝物「螺鈿紫檀五絃琵琶」にもフタコブラクダがあらわされています。また、「聖徳太子絵伝」(室町時代 愛知県勝鬘皇寺蔵(しょうまんこうじ))や狩野内膳「南蛮屏風」(桃山時代 リスボン国立美術館蔵)などでも確認できます。
さらに、江戸時代に刊行された絵入り百科事典『和漢三才図会』(寺島良安 編/正徳2年(1712)自序)はヒトコブラクダが渡来する前に成立していますが、「駱駝」の項目には、中国の本草書である李時珍『本草綱目』からの引用と共に、フタコブラクダの挿絵が確認できます(図3)。なお、本書では西方に「コブが一つのラクダも居る」と指摘しており、渡来前からその存在は把握されていたようです。
このような、「ラクダといえば二つのコブ」という認識のなかに、ヒトコブラクダの図をいち早く取り入れたのは、長崎版画であったでしょう。長崎の話題性の高い内容を図化した土産物の版画に、待望のラクダ舶来のニュースが採用されないわけがなく、ヒトコブラクダと確認できたものだけでも10点はみられます。概ねオランダ人と召使らと共に描かれ、船から降りて長崎の地に立つ様子を彷彿とさせます(図4/左)。長崎版画を元にしてラクダ図を作ったとされる早期の例として、文政4年10月に大坂の唐物屋(外国からの舶来品や関連商品などを扱う)の茶碗屋吉兵衛が刊行したものが確認されています。このことから、文政4年7月にラクダが渡来して間もなく長崎版画も制作されていたことがうかがえます(図4/右)。
さて、「染付 麒麟文 鉢」の側面のラクダ文を改めて見ると、長崎版画の表現と近しいように感じます(図5)。細かい線によってコブの隆起するニュアンスを表現する描き方や首を後ろに向ける仕草、オランダ人と共に描かれていることも共通点として挙げられるでしょう。なお、江戸や大坂の引札には、実際に興行を行う唐人風の香具師が共に描かれます。ラクダのみならず、どういった人物と共に描かれているかも、元図を考察する上で重要な要素と言えます。
ちなみに、長崎版画のラクダ図には、ヒトコブラクダのコブの数が曖昧なものと、はっきりしているものがあります。図4左図は前者にあたります。長崎版画の性格上、詳細な制作年がわかるものは殆どありませんが、再版表記のある作例に後者の表現が確認できることから、恐らくコブの数を曖昧に描いているものは比較的早い作例なのではないかと推察します。
つまり、本作の文様の参照元と思われる「ラクダ図」は、ラクダが持ち渡されてから比較的早い時期に作られた長崎版画と推察されます。そうであれば、「染付 麒麟文 鉢」の推定製作年代である1821年~60年代とも大きく外れず、何より伊万里焼が当世の流行を反映して製作されたことを鑑みると、地理的にも近い長崎版画をいち早く入手して図案化したとしても不思議ではありません。
なお、このヒトコブラクダたちは渡来して10年ほどで2頭とも亡くなり、天保4年(1833)頃には、ラクダブームも区切りを迎えます。各地での初回の興行が盛況だったことが様々な文献から確認できることから、2回目の巡業がはじまる文政10年(1827) 頃までがブームの山だったようです。
幕末期に流行する見世物の物珍しさもさることながら、生きた異文化を自分の目で見るという得難い体験は、さぞかし心躍るものだったはずです。人々の好奇心が異国から持ち込まれた珍しいいきものに向けられている様子は、当世の絵画にも度々あらわされていることからも、うかがい知ることができます。こうした関心の高い事柄を文様にいち早く取り入れるのが伊万里焼の特徴のひとつであり、今をもって人びとを魅了してやまない理由に数えられるでしょう。
『古伊万里いきもの図会展』では本稿でも登場した『和漢三才図会』を参照し、江戸時代の人々のまなざしを意識しながら、多角的にいきものモチーフをご紹介いたします。採用されたモチーフの多彩さを楽しみつつ、なぜそのいきものが伊万里焼にあらわされているのか、当時の人々は各モチーフをどのように受け取っていたのかなど、様々な視点からご鑑賞いただけましたら幸いです。
【主な参考文献】
安永幸一「長崎古版画のニュース性」(『日本美術工芸427』1974)
鈴木廣之「ラクダを描く―円山応震筆駱駝図をめぐって」(『美術研究338』1987)
磯野直秀、内田康夫『舶来鳥獣図誌―唐蘭船持渡鳥獣之図と外国産鳥之図―』八坂書房1992
神戸市立博物館『阿蘭陀絵伊万里とびいどろ・ぎやまん展―江戸のオランダ趣味―』福山市立福山城博物館1998
磯野直秀「明治前動物渡来年表」(『慶応義塾大学日吉紀要 自然科学41』2007)
訳注 島田勇雄・竹島淳夫・樋口元巳『ワイド版東洋文庫466和漢三才図会6』平凡社2009
植松有希・印田由貴子編『長崎版画と異国の面影』板橋区立美術館・読売新聞社・美術館連絡協議会2017
川添裕『江戸にラクダがやってきた 日本人と異国・自国の形象』岩波書店2022
〇デジタル資料
寺島良安『和漢三才図会』(正徳2年(1712)自序)巻37畜類「駱駝」 国立国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/pid/2610127)
李時珍『本草綱目』1590年刊 国立公文書館デジタルアーカイブ
(https://www.digital.archives.go.jp/file/1079248.html)
高力猿猴庵『絵本駱駝具誌』神戸市立博物館 文化遺産オンラインより
(https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/401978)
長崎版画「Camels with Dutch Handlers」メトロポリタン美術館
(https://www.metmuseum.org/art/collection/search/77012)
年の始めの展覧会は『古伊万里いきもの図会(ずえ)展』(2026年1月8日(木)~3月22日(日))を開催いたします。江戸時代の伊万里焼にあらわされたいきものに注目し、様々な視点から各モチーフを紐解きます。
今回の学芸の小部屋では、次回展で取り上げるいきものの中から駱駝(ラクダ/以下カタカナ表記とする)を取り上げます。伊万里焼におけるラクダモチーフは幕末期に僅かにみられますが、その表現を紐解く鍵は時代背景にあります。
博物学の発展した幕末期には、珍しい異国の動物が多数舶来して話題を呼びました。ラクダも異国からもたらされた動物の一つです。特に文政4年(1821)7月、オランダ船が献上品として持参したアラビア産のヒトコブラクダの牝牡は空前のラクダブームを起こします。このヒトコブラクダたちは、来航後しばらく長崎・出島に置かれ、文政6年(1823)に民間に引き渡されて、九州、四国、大坂、京都、奈良、南紀、名古屋など各地で見世物とされ、話題を呼びました。異国文化への好奇心が高まる時代であったことに加え、享和3年(1803)にオランダ船を偽ったアメリカ船に舶載されていたフタコブラクダを、幕府が受け取り拒否したことが、ラクダに対する人々の期待をさらに膨らませていたのでしょう。ラクダの舶来を知らせる版画や、唐人風の香具師(やし)と共にあらわされた興行の引札(ひきふだ/チラシ)が多数摺られたほか、ラクダを題材とした文芸作品、俗謡、研究書なども多数作られました。
興行のなかでも文政7年(1824)の江戸・両国広小路の見世物は、高額な見物料にもかかわらず連日観客が殺到し、日延べを重ねて翌春まで続く人気ぶりだったと言います。また、文筆・画工に長けていた尾張藩士の高力猿猴庵が、文政9年(1826)の名古屋での興行を記した『絵本駱駝具誌』には、ラクダの人形や絵入り扇子などが挿絵付きで紹介されており、今でいうところの「ラクダグッズ」が多岐に渡って製作・販売されていた様子がうかがえます。市井の白熱ぶりに加え、興味関心の高さも感じられます。
なお、ラクダの他、ヒクイドリやゾウなど様々ないきものの興行が行われていましたが、こうしたいきものたちには、当日の演出に加えて、多種多様なご利益や俗説的な縁起付けが施されました。いきものそのものに対する関心に加えて、まさに「眼福」を思わせるような、良いものを目にしてあやかりたいという欲に訴求するような広告が打ち出されていました。例にもれず、ラクダも疱瘡麻疹除け、悪病除け、雷除けなど様々なご利益が付与されました。さらに、ラクダは「楽だ(らくだ)」に通じるほか、牝牡寄り添う姿から夫婦和合の象徴というイメージも付与されて、絵札などでも人気のモチーフとなりました。
前置きが長くなりましたが、こうした時代背景を踏まえつつ『古伊万里いきもの図会展』出展の「染付 麒麟文 鉢」(図1/右)の文様を見ていきましょう。見込に麒麟文、八区画に割した外側面には壽字に籠文、ラクダ文、オランダ人文を対称に配しています。なお、今展では出展いたしませんが、見込に上絵付けを伴うサイズ違いの類品も伝世しています。
ラクダとオランダ人というまさに異国を思わせる組み合わせに、瑞獣の代表格である麒麟と壽字という吉祥モチーフが加わって、全体的になんとなくめでたい雰囲気がうかがえます。しかし、今回注目したいのはラクダの吉祥性ではなく、ラクダのコブの表現です。
よく見ると、全体的なシルエットはヒトコブラクダですが、コブの数は曖昧な表現になっていることに気が付きます(図2)。その理由を求めるには、文様の参照元となったであろう「ラクダ図」について考える必要があります。
文政4年にヒトコブラクダが渡来するまで、日本におけるラクダのイメージはフタコブラクダが主流でした。中国をはじめとする東アジア圏に古くから馴染みのある種で、正倉院宝物「螺鈿紫檀五絃琵琶」にもフタコブラクダがあらわされています。また、「聖徳太子絵伝」(室町時代 愛知県勝鬘皇寺蔵(しょうまんこうじ))や狩野内膳「南蛮屏風」(桃山時代 リスボン国立美術館蔵)などでも確認できます。
さらに、江戸時代に刊行された絵入り百科事典『和漢三才図会』(寺島良安 編/正徳2年(1712)自序)はヒトコブラクダが渡来する前に成立していますが、「駱駝」の項目には、中国の本草書である李時珍『本草綱目』からの引用と共に、フタコブラクダの挿絵が確認できます(図3)。なお、本書では西方に「コブが一つのラクダも居る」と指摘しており、渡来前からその存在は把握されていたようです。
このような、「ラクダといえば二つのコブ」という認識のなかに、ヒトコブラクダの図をいち早く取り入れたのは、長崎版画であったでしょう。長崎の話題性の高い内容を図化した土産物の版画に、待望のラクダ舶来のニュースが採用されないわけがなく、ヒトコブラクダと確認できたものだけでも10点はみられます。概ねオランダ人と召使らと共に描かれ、船から降りて長崎の地に立つ様子を彷彿とさせます(図4/左)。長崎版画を元にしてラクダ図を作ったとされる早期の例として、文政4年10月に大坂の唐物屋(外国からの舶来品や関連商品などを扱う)の茶碗屋吉兵衛が刊行したものが確認されています。このことから、文政4年7月にラクダが渡来して間もなく長崎版画も制作されていたことがうかがえます(図4/右)。
さて、「染付 麒麟文 鉢」の側面のラクダ文を改めて見ると、長崎版画の表現と近しいように感じます(図5)。細かい線によってコブの隆起するニュアンスを表現する描き方や首を後ろに向ける仕草、オランダ人と共に描かれていることも共通点として挙げられるでしょう。なお、江戸や大坂の引札には、実際に興行を行う唐人風の香具師が共に描かれます。ラクダのみならず、どういった人物と共に描かれているかも、元図を考察する上で重要な要素と言えます。
ちなみに、長崎版画のラクダ図には、ヒトコブラクダのコブの数が曖昧なものと、はっきりしているものがあります。図4左図は前者にあたります。長崎版画の性格上、詳細な制作年がわかるものは殆どありませんが、再版表記のある作例に後者の表現が確認できることから、恐らくコブの数を曖昧に描いているものは比較的早い作例なのではないかと推察します。
つまり、本作の文様の参照元と思われる「ラクダ図」は、ラクダが持ち渡されてから比較的早い時期に作られた長崎版画と推察されます。そうであれば、「染付 麒麟文 鉢」の推定製作年代である1821年~60年代とも大きく外れず、何より伊万里焼が当世の流行を反映して製作されたことを鑑みると、地理的にも近い長崎版画をいち早く入手して図案化したとしても不思議ではありません。
なお、このヒトコブラクダたちは渡来して10年ほどで2頭とも亡くなり、天保4年(1833)頃には、ラクダブームも区切りを迎えます。各地での初回の興行が盛況だったことが様々な文献から確認できることから、2回目の巡業がはじまる文政10年(1827) 頃までがブームの山だったようです。
幕末期に流行する見世物の物珍しさもさることながら、生きた異文化を自分の目で見るという得難い体験は、さぞかし心躍るものだったはずです。人々の好奇心が異国から持ち込まれた珍しいいきものに向けられている様子は、当世の絵画にも度々あらわされていることからも、うかがい知ることができます。こうした関心の高い事柄を文様にいち早く取り入れるのが伊万里焼の特徴のひとつであり、今をもって人びとを魅了してやまない理由に数えられるでしょう。
『古伊万里いきもの図会展』では本稿でも登場した『和漢三才図会』を参照し、江戸時代の人々のまなざしを意識しながら、多角的にいきものモチーフをご紹介いたします。採用されたモチーフの多彩さを楽しみつつ、なぜそのいきものが伊万里焼にあらわされているのか、当時の人々は各モチーフをどのように受け取っていたのかなど、様々な視点からご鑑賞いただけましたら幸いです。
(小西)
【主な参考文献】
安永幸一「長崎古版画のニュース性」(『日本美術工芸427』1974)
鈴木廣之「ラクダを描く―円山応震筆駱駝図をめぐって」(『美術研究338』1987)
磯野直秀、内田康夫『舶来鳥獣図誌―唐蘭船持渡鳥獣之図と外国産鳥之図―』八坂書房1992
神戸市立博物館『阿蘭陀絵伊万里とびいどろ・ぎやまん展―江戸のオランダ趣味―』福山市立福山城博物館1998
磯野直秀「明治前動物渡来年表」(『慶応義塾大学日吉紀要 自然科学41』2007)
訳注 島田勇雄・竹島淳夫・樋口元巳『ワイド版東洋文庫466和漢三才図会6』平凡社2009
植松有希・印田由貴子編『長崎版画と異国の面影』板橋区立美術館・読売新聞社・美術館連絡協議会2017
川添裕『江戸にラクダがやってきた 日本人と異国・自国の形象』岩波書店2022
〇デジタル資料
寺島良安『和漢三才図会』(正徳2年(1712)自序)巻37畜類「駱駝」 国立国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/pid/2610127)
李時珍『本草綱目』1590年刊 国立公文書館デジタルアーカイブ
(https://www.digital.archives.go.jp/file/1079248.html)
高力猿猴庵『絵本駱駝具誌』神戸市立博物館 文化遺産オンラインより
(https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/401978)
長崎版画「Camels with Dutch Handlers」メトロポリタン美術館
(https://www.metmuseum.org/art/collection/search/77012)
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