学芸の小部屋

2024年11月号
「第8回:江戸時代の文房具から唐時代の漢詩を味わう」

 庭の紅葉が少しずつ色付いてきました。皆様いかがお過ごしでしょうか。さて、当館では『古陶磁にあらわれる「人間模様」展』(〜12月29日(日))を開催中です。描かれている「人物文様」そのものに加えて、受容側や製作側など当時の「人間関係」にも触れながら、人物モチーフが表現された館蔵の伊万里焼や中国・景徳鎮窯の磁器などをご紹介しております。今月の学芸の小部屋では、出展品の中から「染付 山水人物文 硯屏」(図1)を取り上げます。



  硯屏(けんびょう)とは文房具の一種。小型の衝立状の道具で、硯の近くに立てて風塵を防ぐとされます。伊万里焼や鍋島焼の場合は青緑色の釉薬を掛けた青磁の硯屏が多く見られますが、本作は白地を基本とし、染付で表面に山水人物文、裏面に山水文をあらわしています(図2)。特徴的であるのは、表面の崖の上に集う3人の人物。非常に小さな人影ですが、中央の人物は片手を挙げているように見えます。そして、その手の先には月と思しき小さな丸が描かれています。



 このような山水人物図を各種画譜類に求めたところ、黄鳳池編『八種画譜』のうち『唐解元倣古今画譜』(1620年頃/以下、『古今画譜』)に類似が見つかりました。切り立った崖上に3人の人物があらわされ、やはり中央の人物は片手を挙げて何かを指差すポーズ。植物の陰に隠れてはいますが、手先の方向には大きな満月があらわされています(図3)。



 この『古今画譜』の山水人物図の元は、さらに『歴代名公画譜』(以下、『顧氏画譜』/1603年)に遡ると言います。『顧氏画譜』では明時代の画家・朱貞孚の山水人物図として紹介されている一方、『古今画譜』では画家名を記さずに所載されています。しかも、『古今画譜』の該当頁の次頁は『顧氏画譜』のような画家の紹介文ではなく、絵画部分のみ切り取って代わりに唐時代の詩人である杜甫(712~770)による七言律詩「請看石上藤蘿月 已映州前蘆荻花」の文字が当て嵌められています。この詩は、連作「秋興八首」の第2首の一部であり、病を得て夔州(きしゅう)から都に戻ることができないでいる杜甫が、都への慕情とともに夏から秋へと過ぎ行く季節を詠んだもの。『古今画譜』に掲載されているのは、最後の「ごらんなさい、石に絡まる蔓草の合間から見える月が、今はもう蘆や萩など秋の草花を照らしているのを」の部分に当たります。本来の山水人物図のみであれば、人物たちが高い崖上にいるところから、重陽(9月9日)の日に厄払いのため山丘で菊酒を飲む、中国の年中行事のひとつ「登高」を描いている可能性も指摘されていますが、『古今画譜』の段階で杜甫の「秋興八首」第2首のイメージと結びつけられたことがうかがえます。

 それでは、中国・明時代に刊行された『古今画譜』や『顧氏画譜』に掲載された当該の山水人物図は、日本においてはどのように受容されていたのでしょうか。まず、『顧氏画譜』自体は谷文晁(1763~1841)による模写・翻刻の和刻本が寛政10年(1798)に制作されていますが(図4)、それ以前の舶載時期は特定が難しい貴重本とされます。一方で、『古今画譜』を含む『八種画譜』は寛文13年(1672)にはすでに最初の翻刻本が出版され、流布していきます。



 そして、当該の山水人物図については、さらに別の和刻本にも転載されていきます。例えば、大岡春卜(1680~1763)の『繪本手鑑』第2冊(享保5年(1720))の場合は3人のポーズはほぼ同じですが、『顧氏画譜』や『古今画譜』の山水人物図の右上4分の1程度を切り取った構図で、周囲の景物にも変更が見られます(図5)。



 このほか、『伊孚九池大雅山水画譜』坤(享和3年(1803)/以下、『池大雅山水画譜』)にもやはり右上4分の1程度を切り取った構図で、3人の人物が集う山水人物図があらわされています(図6)。『池大雅山水画譜』では、中央の人物が指差すポーズではなくなっていたり、月が消えていたりと大きく改変されています。しかし、右上に月の代わりに杜甫の「秋興八首」第2首の一部分を記しており、『古今画譜』を踏襲していること、そして、杜甫の「秋興八首」第2首のイメージが続いていることをうかがわせます。



 以上を踏まえて改めて本作を見ると、表面中央に崖上の人物たちを描き、手前に大樹を配置する構成は、『顧氏画譜』または『古今画譜』の山水人物図の影響が大きいと言えます。そして、各々の画譜の流布状況や同時代の『池大雅山水画譜』における「秋興八首」の引用を鑑みて、本作も山水人物図の先に杜甫の「秋興八首」第2首のイメージを内包して描かれた可能性はあり得るでしょう。

 ところで、鍋島家伝来の図案と関連する図案の中に、本作と同じ山水人物図を描き、かつよく似た形状の硯屏の下絵が確認され、本作は後期鍋島に位置付けられることが判ってきました。製作技法の上でも、伊万里焼の硯屏にしばしば見られる一枚板を屏部分とする方法とは異なり、板作り成形による2枚の板を、焼成時に形が崩れないように間に支柱を挟んで組み合わせ、屏部分を構成しています。このような2枚の板で支柱を挟む製作技法による硯屏は、青磁の作例が大川内鍋島窯跡第Ⅰ地点から出土していることから鍋島焼でも使用していた製作技法と言え、矛盾はありません。

 鍋島焼は、将軍への例年献上ならびに幕閣への贈答の場合は、皿鉢類や猪口類といった器種に限定されていました。対して、他の大名家や公家などへの贈答用、あるいは、佐賀鍋島藩主やその親族の自家用としては、香炉や文房具など、多様な器種が製作された様子。本作も硯屏という器種であること、先の下絵の描き様から、例年献上およびそれに伴う贈答のためではなく、佐賀鍋島藩からの贈答品または自家用品として製作されたと考えられます。

 以上から、明時代に描かれた山水人物図が、唐時代の詩聖の七言律詩のイメージが付帯された可能性も含みつつ、江戸時代に大名家の指示のもと硯屏として仕立てられたことがうかがえます。『古陶磁にあらわれる「人間模様」展』は、人物モチーフを切り口に、どのような人物が描かれているのか、また、当時の人間関係を踏まえてどのような背景から製作されたものであるのか、を紐解く試みの展覧会です。これらのやきものに関わった「人間模様」を想像しながらお楽しみいただけますと幸いでございます。


(黒沢)


【主な参考文献】
・前山博『鍋島藩御用陶器の献上・贈与について』同1992
・鍋島藩窯研究会『鍋島藩窯―出土陶磁にみる技と美の変遷―』同2002
・下定雅弘・松原朗編『杜甫全詩訳注3』講談社2016
・小林宏光『近世画譜と中国絵画―18世紀の日中美術交流発展史―』上智大学出版2018


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