2024年12月号
「第9回:山水文の伊万里焼にみる人物の役割」
日ごと寒さ増すこの頃、当館のお庭の木々も例年より遅めですが色づきはじめました。
開催中の『古陶磁にあらわれる「人間模様」展』(~2024年12月29日(日))はやきものにあらわされた人物モチーフを、第1章「願いを込める—神仙画・唐子図—」、第2章「古典に親しむ—歴史画・物語絵—」、第3章「風情を楽しむ—風俗画・美人画—」、第4章「己を映す—山水画—」の4 つのテーマに分けて、ご紹介しています。今回の学芸の小部屋は第4章「己を映す—山水画—」に出展中の伊万里焼の人物文様について深掘りしていきます。
山水画は、山や河川などの自然を創造的に抽出し、画家の思想を墨技によって再構築したもので、北宋時代以降に中国絵画の一大ジャンルとなりました。日本では中国文化を受容した禅僧が舶来の中国絵画を積極的に学び、独自の水墨表現を開花させていきます。 筆で文様を描くことを施文方法の主流とした伊万里焼でも、山水画は文様として取り入れられました。当時の中国からもたらされていた絵本や版画、古染付などのやきものからの影響に加え、墨と水の濃淡を巧みに操り、自然の空気までも描きあらわす水墨と近しい表現のできる染付の作例からは、日本国内で醸成した絵画技法の地盤も感じられます。
ただし、製品として誕生した伊万里焼の山水文には、その源流である中国の山水画のような画家の思想性や創造性といった筆意を感じ取るのは困難です。つまり、山と水辺が描かれていると、つい「山水」と称してしまいますが、絵画作品と伊万里焼の文様とでは一番大切な根底のところ、気韻や写意といった精神的な要素の有無が異なります。実態に即して正確に称するのであればここで示す「山水文」は「山水画風文様」であり、本質的な意味では山水画とは異なる性格のものです。それでも、伊万里焼において山水文をもつ作例は枚挙に暇がなく、国内における中国文化への憧憬や江戸時代後期の文人趣味の流行に寄り添うようにして、文様装飾の一大カテゴリーを築きました。
前置きが長くなりましたが、今展の主題である人物に焦点を当てていきます。中国や日本の山水画の中にあらわされる人物の役割は、景観の雄大さをあらわしたり、故事や神仙、実在の人物を匂わせたり、人間のいとなみの表出であったりと、国や時代、画題、画家の作画事情等によって異なり一様ではありません。ですが、鑑賞者の立場からすれば、どの時代のどの作品であっても観者を積極的に画中へと誘うのは、そこにあらわされた人物です。
では、山水文の伊万里焼にあらわされた人物はどういった役割を持っているのでしょう。特筆すべきは、顔の詳細な表現がみられないということ。流通品であることを鑑みれば、どのような需要者の手に渡っても差し障りのない表現と言えます。一方、鑑賞者の視点としては、個性の乏しい人物が描き添えられていることで自己投影しやすく、山水文の景色の中にいっそう引き込まれるように思います(図1)
加えて、景物に対して人物が小さいものが多いことも挙げておきます。手本としたやきものや図案などに則ったのかもしれませんが、限られた器面かつ時には曲面に描かれることもある山水文の雄大さを表現するのに、人物の大きさは重要な役割を担っていたのでしょう(図2)。
さらに、やきものならではの表現として、水指や壺、瓶などのいわゆる袋物の外側面にあらわされる文様があります(図3)。
この場合は横に展開する画面構成をとる場合が多く、類似する構成の絵巻物との大きな違いとして、永続性があることが挙げられます。紙の途切れ目がないため、文様がループし、いつまでも飽くことなく山水の世界に没頭することができます。
絵巻物での人物の役割の一つに視線誘導がありますが、袋物の外側面に描かれる人物も時には顔や身体の向きで観者を誘導し、いつまでも続く山水文の世界へ導いています(図4)。
以上、『古陶磁にあらわれる「人間模様」展』の第4章「己を映す—山水画—」に出展中の山水文の伊万里焼にみる人物の役割について、鑑賞者の立場からご紹介いたしました。文様研究の視点からみるとまた違った表情が見えてくるとは思いますが、まずはやきものや山水にご関心をお寄せいただいている皆様の鑑賞の手引きとなりましたら幸いです。
2024年は12月29日まで開館いたします。是非、展示室にて山水文の伊万里焼にあらわれる人間模様を楽しんだり、画中に己を遊ばせて自分自身と向き合ったりと、人物が誘う静かな冬のひと時をご堪能ください。
【主な参考文献】
『特別展 東山御物の美―足利将軍家の至宝―』三井記念美術館2014
宮崎法子『中国絵画の内と外』中央公論美術出版2020
『蘇州版画の光芒 国際都市に華ひらいた民衆芸術』海の見える杜美術館2023
戸栗美術館『花鳥風月―古伊万里の文様―パネル資料集kindle版』2024
山水画は、山や河川などの自然を創造的に抽出し、画家の思想を墨技によって再構築したもので、北宋時代以降に中国絵画の一大ジャンルとなりました。日本では中国文化を受容した禅僧が舶来の中国絵画を積極的に学び、独自の水墨表現を開花させていきます。 筆で文様を描くことを施文方法の主流とした伊万里焼でも、山水画は文様として取り入れられました。当時の中国からもたらされていた絵本や版画、古染付などのやきものからの影響に加え、墨と水の濃淡を巧みに操り、自然の空気までも描きあらわす水墨と近しい表現のできる染付の作例からは、日本国内で醸成した絵画技法の地盤も感じられます。
ただし、製品として誕生した伊万里焼の山水文には、その源流である中国の山水画のような画家の思想性や創造性といった筆意を感じ取るのは困難です。つまり、山と水辺が描かれていると、つい「山水」と称してしまいますが、絵画作品と伊万里焼の文様とでは一番大切な根底のところ、気韻や写意といった精神的な要素の有無が異なります。実態に即して正確に称するのであればここで示す「山水文」は「山水画風文様」であり、本質的な意味では山水画とは異なる性格のものです。それでも、伊万里焼において山水文をもつ作例は枚挙に暇がなく、国内における中国文化への憧憬や江戸時代後期の文人趣味の流行に寄り添うようにして、文様装飾の一大カテゴリーを築きました。
前置きが長くなりましたが、今展の主題である人物に焦点を当てていきます。中国や日本の山水画の中にあらわされる人物の役割は、景観の雄大さをあらわしたり、故事や神仙、実在の人物を匂わせたり、人間のいとなみの表出であったりと、国や時代、画題、画家の作画事情等によって異なり一様ではありません。ですが、鑑賞者の立場からすれば、どの時代のどの作品であっても観者を積極的に画中へと誘うのは、そこにあらわされた人物です。
では、山水文の伊万里焼にあらわされた人物はどういった役割を持っているのでしょう。特筆すべきは、顔の詳細な表現がみられないということ。流通品であることを鑑みれば、どのような需要者の手に渡っても差し障りのない表現と言えます。一方、鑑賞者の視点としては、個性の乏しい人物が描き添えられていることで自己投影しやすく、山水文の景色の中にいっそう引き込まれるように思います(図1)
加えて、景物に対して人物が小さいものが多いことも挙げておきます。手本としたやきものや図案などに則ったのかもしれませんが、限られた器面かつ時には曲面に描かれることもある山水文の雄大さを表現するのに、人物の大きさは重要な役割を担っていたのでしょう(図2)。
さらに、やきものならではの表現として、水指や壺、瓶などのいわゆる袋物の外側面にあらわされる文様があります(図3)。
この場合は横に展開する画面構成をとる場合が多く、類似する構成の絵巻物との大きな違いとして、永続性があることが挙げられます。紙の途切れ目がないため、文様がループし、いつまでも飽くことなく山水の世界に没頭することができます。
絵巻物での人物の役割の一つに視線誘導がありますが、袋物の外側面に描かれる人物も時には顔や身体の向きで観者を誘導し、いつまでも続く山水文の世界へ導いています(図4)。
以上、『古陶磁にあらわれる「人間模様」展』の第4章「己を映す—山水画—」に出展中の山水文の伊万里焼にみる人物の役割について、鑑賞者の立場からご紹介いたしました。文様研究の視点からみるとまた違った表情が見えてくるとは思いますが、まずはやきものや山水にご関心をお寄せいただいている皆様の鑑賞の手引きとなりましたら幸いです。
2024年は12月29日まで開館いたします。是非、展示室にて山水文の伊万里焼にあらわれる人間模様を楽しんだり、画中に己を遊ばせて自分自身と向き合ったりと、人物が誘う静かな冬のひと時をご堪能ください。
(小西)
【主な参考文献】
『特別展 東山御物の美―足利将軍家の至宝―』三井記念美術館2014
宮崎法子『中国絵画の内と外』中央公論美術出版2020
『蘇州版画の光芒 国際都市に華ひらいた民衆芸術』海の見える杜美術館2023
戸栗美術館『花鳥風月―古伊万里の文様―パネル資料集kindle版』2024