2025年5月号
「第2回:輸出向けの伊万里焼 その2」
木々の緑が目に鮮やかな季節となりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。当館では『西洋帰りのIMARI展―柿右衛門・金襴手・染付―』(〜6月29日(日))を開催中です。江戸時代の伊万里焼貿易の様相を探る今展では、ヨーロッパからの里帰り品や、輸出向けと考えられる伊万里焼など、館蔵品から約80点をご紹介しております。今回の学芸の小部屋では、初めての出展となる「色絵 花文 皿」(図1)を取り上げます。
染付の青・上絵の赤・金で小花や蝶などが描かれた愛らしい本作。見込は桜、幅広の口部には菊と、日本的な花が文様化されています。しかし、形に注目すると日本の伝統的な皿類には見られない形状をしています。特徴的であるのは、幅広の口部の一端が半円状に切り取られた形状と、その切り取りの反対側の口部に開けられた2つの孔です。
この種の形は、本来はヨーロッパにおいて金属で作られるものであり、「髭皿」と呼ばれます。髭を剃ったり洗ったりする際に、首にあてがって受け皿としたそうです。あるいは、「瀉血」という治療用の受け皿との説もあります。伊万里焼では形の面白さから写されたのでしょうか、とくに18世紀頃から作例が増加します。
本作の場合、興味深いのはその大きさです。通常の伊万里焼の髭皿は口径25~30cm程度。対して、本作は口径11cmと(図2)、とてもではありませんが本来の用途には役立ちそうにありません。
実は本作、ドールハウス用に作られたミニチュアと考えられます。ヨーロッパでは16世紀頃からドールハウスが製作されるようになり、それらに備えられるミニチュアも当時の生活文化を反映しながら作られ、配置されたものでした。
17世紀後半にオランダで製作されたドールハウスを見てみましょう(図3/註1)。このドールハウスは、アムステルダムに暮らしていたペトロネラ・デュノア(1650~1695)のために製作されたもの。彼女はハーグ・シュタットホルダーの高官の娘で、両親が亡くなった後にアムステルダムで暮らすようになったと言います。3階8部屋に分かれたこのドールハウスには、暖炉やキャビネットの上など、ところどころに陶磁器製の壺や瓶、水注などが飾られています。
そして、注目すべきは1階中央のキッチン(図4)。金属製の調理器具や食器類が並ぶ中、左側壁面の上方に陶磁器製とみられるミニチュア髭皿が2枚掛けられています。画像からは分かりにくいのですが、髭皿の上方2箇所の孔に紐を通して、壁のフックに引っ掛けています。
実際、アムステルダムからは上方の孔に通した紐が残った状態の口径27.0㎝の伊万里焼髭皿が出土しています。ペトロネラ・デュノアのドールハウスのミニチュア髭皿と鑑みると、磁器製の髭皿は実用というよりは、紐を通して飾り皿とされていた様子がうかがえます。
ところで、ミニチュアの伊万里焼は、別のドールハウスにも確認できます(図5/註2)。ペトロネラ・オートマン(1656~1716)のドールハウスは、彼女が絹商人と結婚してアムステルダムに住みはじめた1686年頃から1710年頃の製作とされているもの。現在残る3階9部屋のうち、磁器を見る上で重要であるのはやはりキッチンでしょう。1階左の部屋は、料理をするのではなく、食事をしたり高価な食器などを飾ったりするためのキッチンで、奥側の壁面はポースリン・キャビネットが据えられています。このキャビネットには、磁器製の皿や瓶、水注、蓋物などが整然と並べられ、彼女がドールハウスに費やす思いや、当時の人々にとっていかに磁器が重要なアイテムであったかがうかがえます。
ペトロネラ・オートマンのドールハウスのポースリン・キャビネット内の磁器は、中国や日本に注文されたものとされています。実際、ドールハウスに使用する伊万里焼は、『唐蛮貨物帳』の記述からオランダ東インド会社によって輸出されていたことが指摘されています。『唐蛮貨物帳』とは、長崎に入港した中国船やオランダ船が日本で買い入れた品目とその数量などが記された史料であり、具体的には「宝永六丑年」(1709)や「正徳元卯年」(1711)の「阿蘭陀船四艘日本ニ而万買物仕積渡寄帳」のうち、「伊万里焼物色々」の中に「ひな道具」の記載が確認できます。
オランダ東インド会社を通じて、伊万里焼は実用品や室内調度品としてヨーロッパに渡っていきました。ドールハウスに残るミニチュアは、当時の磁器受容の様子を垣間見せてくれるとともに、小さな人形の家の道具までもわざわざ遠く海を越えた国から取り寄せるというヨーロッパの人々の磁器への情熱も感じさせます。ヨーロッパで伊万里焼を手にしたであろう人々にも思いを馳せながら、『西洋帰りのIMARI展―柿右衛門・金襴手・染付―』をご覧いただけますと幸いです。
(註1)Poppenhuis van Petronella Dunois(BK-14656), Rijksmuseum , https://id.rijksmuseum.nl/2002631 (accessed 18 April 2025) (註2)Poppenhuis van Petronella Oortman(BK-NM-1010), Rijksmuseum , https://id.rijksmuseum.nl/ 2002678 (accessed 18 April 2025)
【主な参考文献】
・『唐蛮貨物帳(上)』内閣文庫1970
・Rijksmuseum, 17th Century Dolls' Houses of the Rijksmuseum, 1994
・佐賀県立九州陶磁文化館『古伊万里の道』同2000
・櫻庭美咲『西洋宮廷と日本輸出磁器―東西貿易の文化創造―』藝華書院2014
・ハリーナ・パシエルプスカ著、安原実津訳『ドールハウス ヨーロッパの小さな建築とインテリアの歴史』パイインターナショナル2017

染付の青・上絵の赤・金で小花や蝶などが描かれた愛らしい本作。見込は桜、幅広の口部には菊と、日本的な花が文様化されています。しかし、形に注目すると日本の伝統的な皿類には見られない形状をしています。特徴的であるのは、幅広の口部の一端が半円状に切り取られた形状と、その切り取りの反対側の口部に開けられた2つの孔です。
この種の形は、本来はヨーロッパにおいて金属で作られるものであり、「髭皿」と呼ばれます。髭を剃ったり洗ったりする際に、首にあてがって受け皿としたそうです。あるいは、「瀉血」という治療用の受け皿との説もあります。伊万里焼では形の面白さから写されたのでしょうか、とくに18世紀頃から作例が増加します。
本作の場合、興味深いのはその大きさです。通常の伊万里焼の髭皿は口径25~30cm程度。対して、本作は口径11cmと(図2)、とてもではありませんが本来の用途には役立ちそうにありません。

実は本作、ドールハウス用に作られたミニチュアと考えられます。ヨーロッパでは16世紀頃からドールハウスが製作されるようになり、それらに備えられるミニチュアも当時の生活文化を反映しながら作られ、配置されたものでした。
17世紀後半にオランダで製作されたドールハウスを見てみましょう(図3/註1)。このドールハウスは、アムステルダムに暮らしていたペトロネラ・デュノア(1650~1695)のために製作されたもの。彼女はハーグ・シュタットホルダーの高官の娘で、両親が亡くなった後にアムステルダムで暮らすようになったと言います。3階8部屋に分かれたこのドールハウスには、暖炉やキャビネットの上など、ところどころに陶磁器製の壺や瓶、水注などが飾られています。

そして、注目すべきは1階中央のキッチン(図4)。金属製の調理器具や食器類が並ぶ中、左側壁面の上方に陶磁器製とみられるミニチュア髭皿が2枚掛けられています。画像からは分かりにくいのですが、髭皿の上方2箇所の孔に紐を通して、壁のフックに引っ掛けています。

実際、アムステルダムからは上方の孔に通した紐が残った状態の口径27.0㎝の伊万里焼髭皿が出土しています。ペトロネラ・デュノアのドールハウスのミニチュア髭皿と鑑みると、磁器製の髭皿は実用というよりは、紐を通して飾り皿とされていた様子がうかがえます。
ところで、ミニチュアの伊万里焼は、別のドールハウスにも確認できます(図5/註2)。ペトロネラ・オートマン(1656~1716)のドールハウスは、彼女が絹商人と結婚してアムステルダムに住みはじめた1686年頃から1710年頃の製作とされているもの。現在残る3階9部屋のうち、磁器を見る上で重要であるのはやはりキッチンでしょう。1階左の部屋は、料理をするのではなく、食事をしたり高価な食器などを飾ったりするためのキッチンで、奥側の壁面はポースリン・キャビネットが据えられています。このキャビネットには、磁器製の皿や瓶、水注、蓋物などが整然と並べられ、彼女がドールハウスに費やす思いや、当時の人々にとっていかに磁器が重要なアイテムであったかがうかがえます。

ペトロネラ・オートマンのドールハウスのポースリン・キャビネット内の磁器は、中国や日本に注文されたものとされています。実際、ドールハウスに使用する伊万里焼は、『唐蛮貨物帳』の記述からオランダ東インド会社によって輸出されていたことが指摘されています。『唐蛮貨物帳』とは、長崎に入港した中国船やオランダ船が日本で買い入れた品目とその数量などが記された史料であり、具体的には「宝永六丑年」(1709)や「正徳元卯年」(1711)の「阿蘭陀船四艘日本ニ而万買物仕積渡寄帳」のうち、「伊万里焼物色々」の中に「ひな道具」の記載が確認できます。
オランダ東インド会社を通じて、伊万里焼は実用品や室内調度品としてヨーロッパに渡っていきました。ドールハウスに残るミニチュアは、当時の磁器受容の様子を垣間見せてくれるとともに、小さな人形の家の道具までもわざわざ遠く海を越えた国から取り寄せるというヨーロッパの人々の磁器への情熱も感じさせます。ヨーロッパで伊万里焼を手にしたであろう人々にも思いを馳せながら、『西洋帰りのIMARI展―柿右衛門・金襴手・染付―』をご覧いただけますと幸いです。
(黒沢)
(註1)Poppenhuis van Petronella Dunois(BK-14656), Rijksmuseum , https://id.rijksmuseum.nl/2002631 (accessed 18 April 2025) (註2)Poppenhuis van Petronella Oortman(BK-NM-1010), Rijksmuseum , https://id.rijksmuseum.nl/ 2002678 (accessed 18 April 2025)
【主な参考文献】
・『唐蛮貨物帳(上)』内閣文庫1970
・Rijksmuseum, 17th Century Dolls' Houses of the Rijksmuseum, 1994
・佐賀県立九州陶磁文化館『古伊万里の道』同2000
・櫻庭美咲『西洋宮廷と日本輸出磁器―東西貿易の文化創造―』藝華書院2014
・ハリーナ・パシエルプスカ著、安原実津訳『ドールハウス ヨーロッパの小さな建築とインテリアの歴史』パイインターナショナル2017