当館の主な収蔵品は、東洋陶磁器です。
東洋陶磁器は、日本、中国、朝鮮、などで生産された陶磁器の総称で、日本磁器の内、江戸時代のはじめに肥前国(現在の佐賀、長崎県)で生まれた磁器を肥前磁器と呼びます。
※収蔵品点数約7000点(古陶磁器、古書画など) 平成20年11月現在
東洋陶磁器は、日本、中国、朝鮮、などで生産された陶磁器の総称で、日本磁器の内、江戸時代のはじめに肥前国(現在の佐賀、長崎県)で生まれた磁器を肥前磁器と呼びます。
※収蔵品点数約7000点(古陶磁器、古書画など) 平成20年11月現在
肥前磁器は肥前地方で作られた磁器製品のことを指します。これらは1610年代に、現在の佐賀県・有田町周辺で生まれたといい、現代に続く一大産業となりました。
伊万里焼
17世紀前期から生産が始まった磁器製品は、肥前・伊万里港を介して国内外に運ばれたため、「伊万里焼」と称されています。
初期伊万里 -17世紀前期-
伊万里焼の中でも草創期にあたる17世紀前期につくられた作品は「初期伊万里」と称されています。装飾技法は染付や青磁、銹釉、瑠璃(るり)釉などが中心です。器形は皿や碗、瓶などの日常の器皿だけでなく、水指などの茶道具も見られます。素地の精製が不十分であり、また釉薬が厚くかかっているため白磁であっても青味がかった発色であり、また焼成時に歪みが生じるなど、技術的に未熟な点もみられます。しかし、力強い筆致で自由奔放に文様が描かれたうつわは、素朴なあたたか味を感じさせます。
染付 扇面文 鉢
伊万里
江戸時代(17世紀前期)
口径44.2㎝ 高台径12.2㎝
見込(みこみ)に扇と七宝薬玉と思われる文様を描いた鐔縁(つばぶち)の大皿。縁には葉を点状にあらわした花唐草文を配し、その下には波濤状の唐草文をめぐらせる。随所に小花を散らし、薬玉の紐が風になびく表現が楽しげな風情を作り出している。見込(みこみ)に見られるフリモノや、口径に対して極端に小さく作られた高台などは初期伊万里の特徴である。
伊万里
江戸時代(17世紀前期)
口径44.2㎝ 高台径12.2㎝
見込(みこみ)に扇と七宝薬玉と思われる文様を描いた鐔縁(つばぶち)の大皿。縁には葉を点状にあらわした花唐草文を配し、その下には波濤状の唐草文をめぐらせる。随所に小花を散らし、薬玉の紐が風になびく表現が楽しげな風情を作り出している。見込(みこみ)に見られるフリモノや、口径に対して極端に小さく作られた高台などは初期伊万里の特徴である。
古九谷(こくたに)様式―17世紀中期―
誕生から半世紀も経たないうちに、染付だけでなく、赤、緑、黄色などの上絵付けによる色彩豊かな磁器が登場します。この17世紀中期につくられた初期の色絵作品を「古九谷様式」と称しています。細かい幾何学文で器面を埋め尽くす「祥瑞(しょんずい)手」や花鳥文や人物文が風流な「五彩手」、また黄と緑で大皿を塗りつぶした「青手」など、濃厚な色彩は躍動感を生み出し、迫力が感じられます。
色絵 瓜文 皿
伊万里(古九谷様式)
江戸時代(17世紀中期)
口径44.5cm
腰に段をつけて立ち上げ、口縁に縁銹(ふちさび)を施した大皿。見込(みこみ)は細かい丸文と花文を並べ、黄彩を重ねて地文様とし、主題となる大振りの瓜を上絵の青と緑で鮮やかに描き出す。周囲は流水文をめぐらせ、緑彩をのせる。裏面は唐草文を黒の線描で描き、銘を記した高台内まで全体を黄彩で塗る。色絵の発色も良好で、密に描きこんだ意匠や大胆な文様構成からも、古九谷様式大皿の名品と言える。
伊万里(古九谷様式)
江戸時代(17世紀中期)
口径44.5cm
腰に段をつけて立ち上げ、口縁に縁銹(ふちさび)を施した大皿。見込(みこみ)は細かい丸文と花文を並べ、黄彩を重ねて地文様とし、主題となる大振りの瓜を上絵の青と緑で鮮やかに描き出す。周囲は流水文をめぐらせ、緑彩をのせる。裏面は唐草文を黒の線描で描き、銘を記した高台内まで全体を黄彩で塗る。色絵の発色も良好で、密に描きこんだ意匠や大胆な文様構成からも、古九谷様式大皿の名品と言える。
柿右衛門様式(かきえもん)―17世紀後半―
17世紀後半頃より伊万里焼の輸出が盛んに行われるようになりましたが、この頃の輸出伊万里の典型的な作風が「柿右衛門様式」です。「濁手」と呼ばれる乳白色の素地の上に施された赤は朱色に近く、明るい色彩の上絵付けが特徴です。また余白を広く取って描かれた花鳥文や山水人物文は絵画的な構図で描かれています。鉢や壺、また人物像などの造形物もつくられました。
色絵 双鶴文 輪花皿
伊万里(柿右衛門様式)
江戸時代(17世紀後半)
高3.8㎝ 口径22.5㎝ 高台径13.7㎝
柿右衛門様式完成期の典型作。土型を用いて口縁に端正な12角を作り出している。2羽の鶴を上絵の赤と青で描き分けているが、柿右衛門様式典型作の特徴である全体に赤を基調とした絵付けは濁手(にごしで)の素地によく映える。マイセン窯などで模倣されており、西欧での人気ぶりがうかがえる。裏面は無文、高台にあいた孔(あな)は飾り皿として用いた様子を伝える。高台内に目跡5個を残す。
伊万里(柿右衛門様式)
江戸時代(17世紀後半)
高3.8㎝ 口径22.5㎝ 高台径13.7㎝
柿右衛門様式完成期の典型作。土型を用いて口縁に端正な12角を作り出している。2羽の鶴を上絵の赤と青で描き分けているが、柿右衛門様式典型作の特徴である全体に赤を基調とした絵付けは濁手(にごしで)の素地によく映える。マイセン窯などで模倣されており、西欧での人気ぶりがうかがえる。裏面は無文、高台にあいた孔(あな)は飾り皿として用いた様子を伝える。高台内に目跡5個を残す。
古伊万里金襴手(きんらんで)様式―17世紀末~―
17世紀後半は中国では明朝から清朝に以降する動乱期にあり、陶磁器も減産傾向にありました。このことによってオランダの貿易会社・東インド会社は、中国に代わる陶磁器生産地として日本の有田町に着目しました。こうして伊万里焼は盛んにつくられるようになり、1690年代になると柿右衛門様式に変わって、染付と色絵、さらに金彩が施された「金襴手」が登場します。それらは主に国内向けと西欧向けのものに大別されます。鮮やかな地文で埋め尽くし、金彩をふんだんに用いたうつわは華麗で重厚な存在感を呈しています。
色絵 獅子牡丹菊梅文 蓋付壷
伊万里
江戸時代(17世紀末~18世紀前半)
通高:74.6cm
沈香壺(じんこうつぼ)と呼ばれる形式の壺。ふくよかな胴張りに高めの頸(くび)がつき、鐔(つば)をつけた帽子のように大きな蓋が載る。西欧向け輸出品としてつくられ、宮殿の広間などに飾られたもの。肩部の菊弁や胴部の窓を設ける区画割りは均整のとれた構成で、細部の丁寧な筆遣いと相俟って端整な仕上がりである。
伊万里
江戸時代(17世紀末~18世紀前半)
通高:74.6cm
沈香壺(じんこうつぼ)と呼ばれる形式の壺。ふくよかな胴張りに高めの頸(くび)がつき、鐔(つば)をつけた帽子のように大きな蓋が載る。西欧向け輸出品としてつくられ、宮殿の広間などに飾られたもの。肩部の菊弁や胴部の窓を設ける区画割りは均整のとれた構成で、細部の丁寧な筆遣いと相俟って端整な仕上がりである。
鍋島焼
江戸時代初期、日本で唯一の磁器生産地を持っていた鍋島藩が、現在の佐賀県・有田町の優秀な陶工を集めて大川内山(おおかわちやま)でつくらせた磁器です。国内外に流通した伊万里焼とは異なり、鍋島焼は将軍や幕府高官などへの献上品や贈答品という特別な目的の為に、最高の技術と厳選された材料で作られました。五寸・七寸・尺と規格の定まった木盃形(もくはいがた)の皿には、染付・赤・黄・緑の上絵具で精緻な文様が描かれています。
色絵 小手毬文 皿 鍋島
江戸時代(17世紀末~18世紀初)
高5.6㎝ 口径20.1㎝ 高台径10.9㎝
染付と上絵の黄・緑で葉をあらわし、赤の線描で鞠状の小花を丹念に描き込み、愛くるしい小手毬を器面いっぱいに描いている。染付の呈色がさわやかで、小手毬の咲く初夏の季節感によく合っている。なにげない草花を描いていても気品を失わないところが鍋島焼の真骨頂である。裏文様は三方に花唐草文、高台は櫛目文をめぐらせる。
江戸時代(17世紀末~18世紀初)
高5.6㎝ 口径20.1㎝ 高台径10.9㎝
染付と上絵の黄・緑で葉をあらわし、赤の線描で鞠状の小花を丹念に描き込み、愛くるしい小手毬を器面いっぱいに描いている。染付の呈色がさわやかで、小手毬の咲く初夏の季節感によく合っている。なにげない草花を描いていても気品を失わないところが鍋島焼の真骨頂である。裏文様は三方に花唐草文、高台は櫛目文をめぐらせる。
時代を通じて常に陶磁器生産の主流をなしていた中国陶磁器は、伊万里焼にとっても憧れの対象でした。当館は、新石器時代の土器や陶器から清時代(1644~1911)の磁器まで各時代の優品を保存しており、時代を通観できる内容となっております。
唐時代―618~907年―
中国では紀元前5000年頃には既に土器の制作が始まっており、その用途によって形や色彩を豊かに広げていきました。漢時代になると貴族の厚葬願望の高まりによって色鮮やかなやきものがつくられ、それは唐時代の三彩まで続いていきます。
唐時代は貿易が活発に行われ、さまざまな国と交流を深めた時代であり、この頃のやきものは異国的な器形や色彩が特徴的です。
三彩 馬
唐時代(8世紀)
高:67.3cm
馬体に白泥をおいて白斑をあらわす。刈り込んだたてがみの一部を長く残しているのは乗馬の際の手がかりともいわれる。生き生きとした造形で、今にも主人を乗せて走り出すかのようでもあるが、鞍上に目跡が残っているので、もとは騎馬人像が乗っていたのかもしれない。西アジア産の駿馬の姿。生前の生活を地下に再現するかの如く、貴紳の墳墓を華麗に飾った唐三彩の代表的作例である。
唐時代(8世紀)
高:67.3cm
馬体に白泥をおいて白斑をあらわす。刈り込んだたてがみの一部を長く残しているのは乗馬の際の手がかりともいわれる。生き生きとした造形で、今にも主人を乗せて走り出すかのようでもあるが、鞍上に目跡が残っているので、もとは騎馬人像が乗っていたのかもしれない。西アジア産の駿馬の姿。生前の生活を地下に再現するかの如く、貴紳の墳墓を華麗に飾った唐三彩の代表的作例である。
宋時代―960~1279―
宋時代は経済が発展すると同時に、文化水準も著しく高まった時代です。やきものも汝窯(じょよう)・鈞窯(きんよう)・定窯(ていよう)など多くの窯が技術と生産力を向上させ、台頭しました。洗練された器形や釉薬の美しさを追求し、深い精神性を湛えた美意識を持つ宋代のやきものは、日本の文人たちにも好まれ、高い評価を受けています。
澱青釉 瓶
鈞窯
北宋~金時代(12世紀)
高:31.4cm
宋代の名窯のひとつである鈞窯は、澱青釉(でんせいゆう)、月白釉(げっぱくゆう)とも呼ばれる白濁した青味のある釉が特徴である。その不思議な色合いが、この瓶に気品と存在感を与えている。丸みのある胴からすんなりと伸びた首が先に向かって広がり、調和のとれた端正な形に仕上がっている。
鈞窯
北宋~金時代(12世紀)
高:31.4cm
宋代の名窯のひとつである鈞窯は、澱青釉(でんせいゆう)、月白釉(げっぱくゆう)とも呼ばれる白濁した青味のある釉が特徴である。その不思議な色合いが、この瓶に気品と存在感を与えている。丸みのある胴からすんなりと伸びた首が先に向かって広がり、調和のとれた端正な形に仕上がっている。
元時代―1271~1368―
元時代になると中国江西省の景徳鎮窯において、釉下に呉須顔料で文様を描き、焼成することで鮮やかな青色を呈する青花磁器の生産が始まります。このことは後の明・清時代の製磁業を方向づける大きなターニングポイントとなり、景徳鎮窯は磁都としての地位を獲得していきました。
元時代の作品は、大きな盤や瓶などに青花で緻密な文様を濃厚なまでに描き込む加飾的な大作が多く作られました。その堂々たる形と精緻な描写からは迫力と威風が感じられます。青花磁器は宮廷のみならず、外国にも大いに喜ばれました。
青花 唐草文 稜花盤
景徳鎮窯
元時代(14世紀)
口径46.3㎝
貿易陶磁としての性格をもつ元青花は、イスラーム圏の大皿を用いる食文化を反映して器物が大型化し、この種の大盤が多数作られた。本器は文様の地となる部分にコバルトを塗りつめ、白抜きで文様を表わす点でも、イスラーム文化の影響がうかがえる。画面左上にみられる吹墨風の斑文は元青花には類例の少ない装飾表現。
景徳鎮窯
元時代(14世紀)
口径46.3㎝
貿易陶磁としての性格をもつ元青花は、イスラーム圏の大皿を用いる食文化を反映して器物が大型化し、この種の大盤が多数作られた。本器は文様の地となる部分にコバルトを塗りつめ、白抜きで文様を表わす点でも、イスラーム文化の影響がうかがえる。画面左上にみられる吹墨風の斑文は元青花には類例の少ない装飾表現。
明時代―1368~1644―
明時代には、先の元時代に発展・定着した青花技法はより洗練されていきます。また、宮廷用の陶磁器を焼造する御器廠(ぎょきしょう)という官窯が景徳鎮窯に設置され、中国窯業の中心地としての不動の地位を確立しました。嘉靖年間(1522~66)には五彩磁器も盛んに焼造され、さらに官窯のみならず、力をつけた民窯でも「古赤絵」や「金襴手」など盛んに色鮮やかな磁器が生み出されていきます。
五彩 魚藻文 壺
景徳鎮窯
明時代・嘉靖年間(1522-66)
高:24.0cm
口縁に蔓唐草文、肩にラマ式蓮弁文、胴裾に如意頭繋文の文様帯をおき、胴に蓮花をはじめとする水生植物を配して魚を描いている。魚体はオレンジ色を呈するが、これは黄彩を下地として上に紅彩を加えたものである。嘉靖期の魚藻文の壺では胴の丸味が強い大型壺が知られるが、こちらは肩の張った細身の例である。底裏には青花で「大明嘉靖年製」の枠無し銘を記す。
景徳鎮窯
明時代・嘉靖年間(1522-66)
高:24.0cm
口縁に蔓唐草文、肩にラマ式蓮弁文、胴裾に如意頭繋文の文様帯をおき、胴に蓮花をはじめとする水生植物を配して魚を描いている。魚体はオレンジ色を呈するが、これは黄彩を下地として上に紅彩を加えたものである。嘉靖期の魚藻文の壺では胴の丸味が強い大型壺が知られるが、こちらは肩の張った細身の例である。底裏には青花で「大明嘉靖年製」の枠無し銘を記す。
清時代―1644~1911―
明代末期から清代初期にかけて、輸出用の陶磁器として「芙蓉手」や「呉須手」、「古染付」などの新しい様式のやきものが登場します。
また、西洋と東洋の上絵付け技法を合わせた「粉彩(ふんさい)」技法が生み出され、繊細なグラデーションを生かした絵画的な表現が可能となりました。さらに、明代成化年間に隆盛した「豆彩(とうさい)」技法は、青花の線で描かれた輪郭線や釉上に施された様々な色が競い合っているように見えることから「闘彩」とも呼ばれ、清代雍正年間に人気を博しました。
緻密さを極めた清代の陶磁器は「完全技巧美」と称され、独特の高雅な様式美を呈しています。
粉彩 人物文 皿
景徳鎮窯
清時代・雍正年間(1723-35)
口径:20.8cm
西洋の男女を描いた類例の少ない文様。背景にも陶磁器が描かれている。グラデーションを付けて陰影をあらわすなど、油絵のような淡い色調や、細部にわたる繊細な筆致など粉彩ならではの表現が見どころである。外壁は鮮やかなピンク色の釉が掛かり、白磁に残した高台内には青花で「大清雍正年製」銘を記している。
景徳鎮窯
清時代・雍正年間(1723-35)
口径:20.8cm
西洋の男女を描いた類例の少ない文様。背景にも陶磁器が描かれている。グラデーションを付けて陰影をあらわすなど、油絵のような淡い色調や、細部にわたる繊細な筆致など粉彩ならではの表現が見どころである。外壁は鮮やかなピンク色の釉が掛かり、白磁に残した高台内には青花で「大清雍正年製」銘を記している。
朝鮮半島の陶磁器は「高麗青磁」と「李朝白磁」に大分されます。
戦国時代、豊臣秀吉による朝鮮出兵(1592~1598)の際に、鍋島藩主の鍋島直茂が朝鮮人の陶工・李参平と共に帰国し、有田町で磁器作りに成功したことが日本磁器の始まりともいわれており、伊万里焼と朝鮮陶磁は切り離しては語れません。
ここでは収蔵品の中から朝鮮陶磁数点をご紹介いたします。
高麗時代―918~1392―
朝鮮陶磁を代表する高麗青磁は、中国の越州窯青磁の影響を受けて10世紀頃に誕生しました。12世紀には全盛期を迎え、陽刻や印花のほか、鉄絵、白泥を絵筆で塗る白堆(はくつい)、酸化銅を顔料とした赤い発色をする辰砂(しんしゃ)など多岐に渡る技法が用いられています。特に青磁象嵌(ぞうがん)は高麗青磁特有の技法ということができ、優美さと愛らしさを兼ね備えた独自の作風を確立します。
青磁 刻花文 盞・托
高麗時代(12世紀)
通高6.7㎝ 口径6.8㎝ 高台径5.8㎝
杯とこれをのせる受け皿。一組で伝世した貴重な作例。口縁に陰刻の雷文(らいもん)帯をめぐらせ、盞(さん)の内側と托(たく)の鐔状の縁には四方に草花文を配している。端正な器形、淡く優雅な釉調は完璧な仕上がりを見せ、「翡色(ひそく)」と呼ばれた高麗青磁の名品である。底部には硅砂(けいしゃ)の目跡(めあと)が三箇所ある。
高麗時代(12世紀)
通高6.7㎝ 口径6.8㎝ 高台径5.8㎝
杯とこれをのせる受け皿。一組で伝世した貴重な作例。口縁に陰刻の雷文(らいもん)帯をめぐらせ、盞(さん)の内側と托(たく)の鐔状の縁には四方に草花文を配している。端正な器形、淡く優雅な釉調は完璧な仕上がりを見せ、「翡色(ひそく)」と呼ばれた高麗青磁の名品である。底部には硅砂(けいしゃ)の目跡(めあと)が三箇所ある。
李氏朝鮮時代―1392~1910―
500年に及ぶ朝鮮時代朝鮮時代の陶磁器は、粉青や白磁、青花(染付)、黒釉などが焼成され、複雑な展開を見せます。中でも李朝初期に生産された粉青沙器は、民衆の息吹を感じさせるような軽妙で飄逸な作風に特徴があります。後に、粉青沙器の生産は衰え、白磁が次第に主座をしめるようになり、李朝の代表的なやきものとなります。17世紀初期の肥前・有田で作られた初期伊万里には李朝の陶磁器と類似する作例が散見され、朝鮮の技術が日本にもたらされたことを作品からも感じることができます。
粉青鉄絵 魚文 俵壺
朝鮮時代(15-16世紀)
高19.5㎝ 長23.9㎝ 高台径12.9×6.9㎝
胴部中心に鉄絵で大きく魚文を描いた俵壺(たわらつぼ)。粉青沙器(ふんせいさき)の見どころは軽妙、飄逸な文様描写にあるといってもよく、ここに描かれたユーモラスな魚や蔓草文ののびやかな様子は、いかにも粉青沙器らしいということができる。朝鮮では魚は豊饒(ほうじょう)をあらわすといわれ、俵壺は祝祭用の酒器とも考えられる。
朝鮮時代(15-16世紀)
高19.5㎝ 長23.9㎝ 高台径12.9×6.9㎝
胴部中心に鉄絵で大きく魚文を描いた俵壺(たわらつぼ)。粉青沙器(ふんせいさき)の見どころは軽妙、飄逸な文様描写にあるといってもよく、ここに描かれたユーモラスな魚や蔓草文ののびやかな様子は、いかにも粉青沙器らしいということができる。朝鮮では魚は豊饒(ほうじょう)をあらわすといわれ、俵壺は祝祭用の酒器とも考えられる。
白磁 皿
朝鮮時代(15-16世紀)
口径21.7㎝ 高台径12.9㎝
平らな鐔縁(つばぶち)状の口縁をもち、端部にくっきりと凸帯を作った皿。この形の皿は比較的長い期間にわたって作られ続けており、白磁のみならず青花(せいか)でも同様の器形の作品が知られている。
朝鮮時代(15-16世紀)
口径21.7㎝ 高台径12.9㎝
平らな鐔縁(つばぶち)状の口縁をもち、端部にくっきりと凸帯を作った皿。この形の皿は比較的長い期間にわたって作られ続けており、白磁のみならず青花(せいか)でも同様の器形の作品が知られている。
陶片とは、陶磁器の生産された遺跡や窯跡、または消費地などから出土した陶磁器の欠片のことで、当館では有田諸窯や大川内山から出土した伊万里焼や鍋島焼の陶片を収蔵しております。これらの陶片は、製作工程や技術の変遷、類似伝世品の生産窯や生産年代の推定などを行う際に貴重な資料となり、伝世品からだけではわからない様々な情報を与えてくれます。
2階展示室ロビーや、やきもの展示室にて、陶片の展示を不定期に行なっております。ご来館の際には、企画展と合わせて是非ご覧ください。
2階展示室ロビーや、やきもの展示室にて、陶片の展示を不定期に行なっております。ご来館の際には、企画展と合わせて是非ご覧ください。
有田諸窯出土
大川内山出土